院長
芋縄啓史

ありがとう芦屋クリニック 院長

H6 近畿大学医学部卒業後、同大学救命救急センターにて勤務
 期間中にドクターカー搭乗、外科、内科、眼科などの経験を経て
H16 近畿大学医学部奈良病院 救命救急センター講師
H18 田中病院 内科部長
H21 ロータスクリニック 院長
H27 ありがとう芦屋クリニック 開院

現在の仕事についた経緯は?

高校の時は文系で、大学で心理学の勉強をしようと思っていました。受検の時期になり、母親に『どうせなら心理学で医師の資格を取って精神科医になれば?』と言われ、医学部を受けたところ、なんとか補欠で合格したのがきっかけです。
 大学は遊びほうけていましたが、最後の追い込みで国家試験まで取ることができました。当初精神科に入局するつもりでしたが、医局の雰囲気が合わなさそうなので断念。結局救命救急センターに入局することになりました。
 坂田センター長の『ガンは薬で治る時代が来るので外科の仕事は減る。ヒトが生きている限り、出生、奇形、事故、死亡はなくならない。救命救急は事故と死亡を扱うので、仕事は絶対になくならない。』という言葉がきっかけです。

仕事へのこだわり

人を見て法を説く
『人に何かを説いたり諭したりするときは、相手の性格や気質を考慮して、適切な言い方をすることが必要だという教え。釈迦が仏法を説くにあたり、それぞれにあったやり方で行ったという説話から。』
 当院の診療方針に『自分(の家族)ならどうする?』
とあります。
 たとえば糖尿病で毎日インスリンを注射している方がいたとします。その方が40歳なら、血糖管理をしっかりすると大きな病気を避けて天寿を全うできる可能性もあるので、厳しい血糖管理をするのが良いでしょう。でもその人が80歳になっていれば?100歳なら?
私なら『多少病気が悪くなっても』もっと楽な方法はないかと模索します。もちろんガイドラインはあるのですが、私なら『家族が同じ状態ならどうするか』を基準に、ガイドラインを遵守することで得られるメリット、デメリットを天秤にかけて考えます。

そう思えるようになったきっかけ

医師は病気のひとを見慣れていますが、患者さんは病気になる事には慣れていません。
 『出来るだけの事をしてあげたい』と膵臓ガンの母親に、当時標準とされていた成功率の低い手術をした結果、合併症から食事を取ることもままならないうちに病院から一歩も出ずに亡くなられた先輩医師のお母さん。
 自身で標準治療として勧められた抗ガン剤の治療を希望したものの、副作用が強く、ガンの勢いも押さえられなくなってから『こんなんやったら抗ガン剤なんかやめといたら良かった』と言った私の母。
 人工呼吸器を付けることをかたくなに拒否しているおじいさんが、苦しそうにしているのを見かねて、『(どうせ亡くなるなら楽になる)鎮静剤を使って下さい』と提案した患者の家族。
 そういう例を見てから出会った次の言葉に、私は深く共感するようになりました。

『医療の質とは、その技術がどのぐらい多く提供されたかによって測れるのではなく、その後の人生における目標、失意の緩和、機能の回復、機能障害の予防といった健康サービスから得られた結果により密接な関係がある』
      -Lembcke PA-

今後の目標

将来の事を考える余裕はありませんが、同じ志の先生たちと医療連携、チームを組めればよいなと思います。