理事長
執行友成

医療法人社団涼友会 東京ヘルニア・日帰り手術センター 執行クリニック 理事長

1981年東京医科大学卒業。81年5月東京警察病院外科、87年財団法人会田病院救命救急部 外科医長、88年同外科部長、90年東京警察病院外科医幹、91年11月同退職、12月執行クリニック開設、98年医療法人涼友会理事長、98年神楽坂訪問看護ステーション開設、2003年神楽坂D.S.マイクリニック(有床診療所9床)開設、2010年東京医科大学地域医療指導教授、2012年日本ヘルニア学会理事、2013年 IAAS 世界日帰り手術学会 日本代表、2014年第12回日本ヘルニア学会学術集会 会長、2016年第12回Asia Pacific Hernia Society副会長

現在の仕事についた経緯は?

小学校4年生時の文集で“外科医になりたい”と書かれている。外科医になるためには医者に成らなくては成らない。学生運動がもっとも盛んな時期であり、一旦は別方向へ傾注したが、外科医への夢が捨てきれず医学部へ、そして躊躇なく外科医の道へ、尚且つ臨床経験を早く積むためには市中病院と考え、東京警察病院外科へ進む。一般外科と腹部救急外科、そして8年目から肝移植を学ぶために東京大学小児外科で河原崎先生の門下へ。1990年父の急逝により故郷で開業したが、開業外科医を目指し診療所で有るにも関わらず”手術室”を作る。これが功を奏して、1998年局所麻酔下鼠径ヘルニアの日帰り手術を、一開業外科医が日本で初めて行った。その後全国から患者様の殺到と90年に師事した山川達郎先生の教えで有るラパコレの1泊手術も開始、これまで9,000例を超える日帰り、over night surgeryを行なってきている。

仕事へのこだわり

”継続が最大の力”と感じている。一つ一つコツコツと継続する事が我々医師には求められる。プロフェッショナルはぶれずに継続するために学び、経験、そして創意工夫をやり続けるべきで有る。後輩を数多く育てる事もプロフェッショナルとして重要な事で有る。手術により患者様にとってHappyな結果をもたらす為には、一つの技術を極める事が重要と考えている。

そう思えるようになったきっかけ

開業して7年目1998年、小さい頃からの知り合いのお風呂屋さんのご主人が鼠径ヘルニアで当院を受診。手術をお勧めしたが、毎日番台に立たなければ成らないので入院は出来ない!お風呂屋のオヤジさんが今の私へ大きなチャンスを与えてくれた!1995年学会で見聞きしていたMesh & Plug法による鼠径ヘルニアの局所麻酔のみによる手術をやる事にした。1時間もかけてドキドキしながらようやく終了。今から思えば酷い手術だったかもしれないが結果は良好。これは患者さんにとっては福音の有る手術と考え、まだまだHPも医療機関では少ない頃自作のHPを立ち上げた。マスメディアがこのHPに注目し、ニュース番組で取り上げられたのが起爆剤であった。全国からどんどん悩める方々が受診するようになり、鼠径ヘルニアの重症度も増し、在宅患者様の緊急入院の必要性もあり、有床診療所を開設し、腹腔鏡下手術への対応も開始した。良性疾患で有るから結果が全てとなる事を重々理解し、技術の研鑽、文献確認、学会活動を本格的に開業医でありながら開始。その結果全国の外科医と交流する事となり、2014年には開業外科医が全国区の外科学会の会長を努めさせて頂く事の名誉を授かった。なんの因果かこの学会が終わり半年後に1例目のお風呂屋さんのご主人は在宅診療で当院で老衰のためお見送りをさせて頂きました。オヤジさんは私の活動に至極お慶び頂きました。特に”これがスーパードクター”に私が取り上げて頂いた際にはお花まで頂戴いたしました。学び、吸収し、工夫を続けてきたのは近隣の子供の頃からお世話になった一人の患者さんから始まりました。

今後の目標

開業して約25年、在宅診療を始めて21年、そして日帰り手術を始めて18年。多くの経験をさせて頂きました。2007年頃から私の元へ外科医が弟子入りしてくる様に成りました。成長し同様の開業をした外科医、今後も私の継承をする事を希望する外科医、新たな局面を求めて来た外科医、動機は様々ですが、これらの外科医を心底歓迎し、全てを傾注し、育てる事が楽しく成って来たのは学会長を仰せつかった2014年頃からです。若き外科医へ癌手術を卒業し、良性疾患の外科治療を完璧に習得して貰いたい。そこで今後は若き外科医が夢を持てる様なステージを作る事が私の最大の目標であります。