心臓血管外科 教授
南淵明宏

1983年、奈良県立医科大学を卒業。大学病院や国立循環器病センターの研修医を経験した後、30歳の時にオーストラリアへ留学。34歳の時に帰国してからは、心臓外科医として民間病院に勤め、数多くの心臓外科手術を担当。もう一度0から医療人としての自分を鍛え直す思いで57歳の時に大学病院のポストを手に入れる。

医学部卒業の際、たくさんの先輩方から「心臓外科はとにかく大変」「絶え間ない努力と生まれ持った才能が必要だ」などとマイナス意見ばかりを聞かされており、危機感や嫌悪感を抱いてしまっていた時期もありました。心臓外科医は患者の命を直接左右するので、とても大変かつ重い責任がのしかかる仕事です。しかし一回しかない人生なので、偶然でも医者になれたのだったら心臓外科医になってやろうと私は決心しました。

医者が患者を支えているのではなく、医者が患者に支えられている

今までたくさんの命を救い、繋いできました。そのことは今になっても感謝していただいています。しかし、中には救うことのできなかった命もあります。何十年経っても、そんな患者やご家族の言葉が日常生活の中でふと思い出されます。その時、自分はいったい彼らに何をしてあげられたのだろう、と自責の念に駆られます。週に一度はそのような思いに襲われますが、手術が終わった後でも何年も定期的に私の外来診察に通ってくださる患者さんがたくさんいらっしゃいます。その患者さんたちは、待合室で長時間待って診察室に入り、「南渕先生の顔を見たら元気になったので帰ります。他にも待っている方がたくさんいらっしゃいますので。」と言って帰られていきます。そのような患者さんたちに支えられて自分はここまでやってくることができました。医者が患者を支えているのではなく、医者が患者に支えてもらっているのだと実感する瞬間です。心臓外科手術は、想像もできないようなトラブルが起きることがあります。術後に脳梗塞を起こして直木賞に投稿するために書いていた小説が絶筆になってしまった患者や、心臓の血管はしっかりとつないだはずなのに術後に肺から出血した患者などもいました。その患者様、心臓、ご家族の顔が脳裏に焼き付いて離れません。そう言った患者の人生の中の重要な人物として登場しているという事実によって、医師とは何であるのか、自分は一体何をやっているのかが未だに分からないと思うようになりました。

心臓手術に自分の存在すべてをかけてきた

目の前にある一つ一つに対して真摯に取り組んだ結果それが死につながってしまったとしても、それは本望だと思えます。「いつ死んでも後悔はしない」というのが私の思いです。しかし、私のように自分の命と引き換えにしても良いと思える仕事、自分の命と引き換えにしても良いと思えるほどの価値のある行為に出会える人は少ないように思われます。そういう意味でも、自分の存在すべてを心臓手術にかけることができた私は幸福だと感じています。振り返ると、私は小さな民間病院で多くの手術の経験を積んできました。そして、心臓外科医として手術を行ってきたという、地球が消滅しても打ち消すことのできない事実と大偉業を数千人もの患者の胸の中に刻み込んできました。このことは日本の医療界に少なからず影響を与え、改革に寄与してきたと自負しています。民間病院から大学病院に移動した理由は、これからの世の中をさらに大きく変えてやりたいという今までより強い野心が現れたからです。具体的な話をすると、これからの世の中をもっとかき回すような有能で活気に満ちた後進を育て、各地に散布し、循環を良くしていきたいと考えています。そして、もし私が死んでしまったとしても、優れたことが新たにたくさん生まれるように、今私ができる社会の利益となる活動をしていきたいです。