心臓血管外科医
新浪博士

群馬大学の医学部を卒業後、東京女子医科大学の大学院で学び、同年に東京女子医科大学附属日本心臓血圧研究所外科に入局する。アメリカやオーストラリアへの二度の留学で心臓外科の最先端技術に触れる。帰国後には東京女子医科大学心研循環器外科病棟医長に任命される。その後、東京女子医科大学東医療センター心臓血管外科助教授、順天堂大学医学部心臓血管外科助教授を経験し、現在は埼玉医科大学で心臓血管外科教授として勤める。子供の頃から手先が器用だったことから、中学生の頃には外科医になりたいと漠然と考えていました。その漠然とした思いが夢に変わったきっかけは、高校時代に見たドラマ「白い巨塔」です。ドラマに出てくる財前教授に感化され、外科医こそが自分の天職だと感じるようになりました。

自分にできる最良の医療を提供する

自分にできる最大限の医療を提供することを考えています。その中でも特に手術は妥協せずに行い、毎回の手術で100点満点を取る努力をしています。また、満点を取れなかった時にはどうしてできなかったのか、どこに問題があるのかを考え、反省して次に活かすことを心がけています。このように手術の質を深く考えるようになったのは、天野篤先生と一緒に働かせていただいた頃からです。順天堂大学で3年間働かせていただきましたが、一緒に手術に入ることはほとんどなく、隣の手術室でそれぞれ執刀していました。しかし、今日はどのような手術をするのかなどの話はしていました。最初は、「先生はその程度の手術をするんだ」などとよく言われ、自分が手術に対して保守的であることを気付かされました。それからは、もちろん無茶な医療を行うことはできませんが、天野先生にその程度の手術などと言われない手術を行うことを心がけ、今でもその努力をしています。

3度の決心でここまでやってきた

ここまで来るのに、3度の大きな決心がありました。1度目は医師になって3年でアメリカに留学をしたことです。2度目は、アメリカから帰国した3年後にオーストラリアに留学したことです。また、この期間中にも、最初に滞在していたメルボルンからシドニーに移動するという決心は必要でした。そして3度目が、天野先生のお誘いを受けて東京女子医大から順天堂大学に移動したことです。自分が今まで育ってきた環境と違うところに移る不安はとても大きかったですが、外科医として天野先生に対する興味の方が勝ったため、移動を決心しました。今後も、気力と体力の限界まで心臓手術で一人でも多くの人を助けていくつもりです。4年前からタイやミャンマーにも医療支援を行っています。また、大学教授という立場ではなく、様々な人たちにも支援していただきたいという思いから、一般社団法人を立ち上げました。年に2回ミャンマーを訪れ、現地の心臓外科医の方と手術を行い、日本の治療技術を広める活動を行っています。また、タイやミャンマーから医師、看護師、臨床工学士を日本に招き、埼玉医大で修練させるというプログラムも取り込んでいます。日本はアジアの国の中で最も発達しています。そんな日本なら、産業のみならず医療でも何かアジア諸国に貢献できるはずだと考え、このような活動を継続して行っていくつもりです。